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歴史総合, 世界史探究 [分析] 2025年度大学入学共通テスト速報 | 大学入試解答速報

第1問は歴史総合、第2〜5問は世界史探究からの出題で、すべての問題で資料(史料文・図版・地図・表・グラフ)の読み取り問題が出題された。歴史総合は、日本史のみの小問はなく、世界史の比率が高かった。世界史探究は、形式は試作問題に近かったが、問われる内容は昨年までの世界史Bに近かった。

歴史総合や世界史探究の授業の場面など、生徒の主体的な探究をテーマとする問題が大半だった。
【ズバリ的中】<本試験>第1問 問5 ⇒ <河合塾教材>2024年度 第3回全統共通テスト模試 歴史総合,世界史探究 第1問 問4

難易度

歴史総合は、試作問題でみられた日本史のみの小問はなく、世界史の割合が高かったため、解きやすかっただろう。 世界史探究は、試作問題より資料や会話の内容を丁寧に読み込み、習得した知識のいずれに該当するのかじっくり考える必要があり、小問数が試作問題より1問減っていたとはいえ、時間がかかり、試作問題よりやや難しかっただろう。

出題分量

大問5題で、第1問が歴史総合、第2〜5問が世界史探究であることは試作問題と同じだった。しかし、マーク数が32で、試作問題の33から減少し、ページ数も34ページで、試作問題の40ページから減少した。

出題傾向分析

【歴史総合】
試作問題でみられた日本史のみの小問がなく、世界史の割合が高かった。またテーマでは大衆化・グローバル化の問題よりも近代化からの出題が多く、全体の半分を占めた。
【世界史探究】
地域については、欧米史とアジア・アフリカ史の割合がほぼ同じで、欧米史では西ヨーロッパ史の、アジア・アフリカ史では中国史の割合が高く、オセアニア史からの出題はなかった。分野については、政治史や社会経済史が多く、文化史も散見された。時代については、前近代史の比率が高く、第二次世界大戦後からの出題が特に少なかったが、近現代史から出題されている歴史総合を加えると、前近代史と近現代史の比率はほぼ同じとなった。すべての大問で、資料(史料文・図版・グラフ・表・地図)を読み取る必要があったが、資料の読み取りのみで解答できる問題はなく、資料や会話文などから必要な情報を正確に読み取り、習得した知識と組み合わせながら総合的に判断する問題が多かった。

2025年度フレーム(大問構成)

大問 分野 配点 マーク数
1 装いの歴史(歴史総合) 25 8
2 世界史上の都市の歴史(世界史探究) 20 7
3 資料の持つ文脈や背景の理解(世界史探究) 21 7
4 大陸を越えた諸地域の結び付き(世界史探究) 16 5
5 特定の主題についての班別学習(世界史探究) 18 5
合計 100 32

設問別分析

第1問

装いの歴史をテーマに、19世紀から第二次世界大戦後までの世界の政治・社会・経済について幅広く問うている。問1.図版から清と日本の服装を読み取らせる問題。問4.帝国議会開設が1890年であることを把握できれば、グラフの読み取りでYが正答と判断できる。問5.選択肢1は、図版などでモダンガールがどのような姿をしていたかを理解している必要がある。パネルから選択肢2の独立国が日本、植民地が京城のある朝鮮半島、租界が上海を指すと判断したいが、上海がやや難しい。問8.男女雇用機会均等法の制定が1980年代(1985年)であることを想起できるかがカギ。 <歴史総合第2問と共通問題>

第2問

Aは14世紀半ばのカイロの状況、Bはペテルブルクの歴史、Cは近代のバンコクの変容を扱った問題で、Aのカイロ、Bのペテルブルクは空欄となっており、伏せられている。問1.資料中の「アズハル゠モスク」は、カイロに建設されたアズハル学院に付属するモスクであり、これを手がかりとして、空欄アに当てはまる都市がカイロであることを確定させる。空欄イに関して、ヨーロッパ大陸とアメリカ大陸の間の本格的な交流にともなう「コロンブス交換」が始まるのは15世紀末からであり、14世紀のヨーロッパには、梅毒はまだアメリカ大陸から伝わっていない。問2.アズハル゠モスクとアズハル学院が建設されたのはファーティマ朝時代であるが、資料は14世紀の状況を示しているため、当時のカイロを支配していた王朝は、13世紀に成立し16世紀に滅亡したマムルーク朝である。問3.準備メモ中の「血の日曜日事件」から、空欄ウにはペテルブルクが当てはまると判断する。選択肢3の「臨時政府」は、ロシア二月革命(三月革命)をうけて成立し、ロシア十月革命(十一月革命)で倒れた臨時政府を指している。問6.い.会話文と図2から運河が建設されていたことが読みとれるので、水上交通路は発達していたといえる。

第3問

Aはアクティウムの海戦に関する記録を、Bは五経の注釈書に関する文字資料や図を、Cは19世紀後半にイギリス人が述べたインド研究の見解に関する文章を、それぞれ扱った問題。問4.あ.「註」が書かれた時期は、鄭玄が漢代の人物であるという知識で判断できるが、図の「漢鄭氏」という部分も手がかりになる。問6.Y.カニンガムがインド古代史研究のためにインドの人々が記した文献ではない資料を用いる研究手法を提示していることを読み取り、他の地域の人々によって書かれた記録を用いる選択肢を選ぶ。問7.Z.「資料4が書かれた時期」を、8か国連合軍が都を占領した時から30年後であることを読み取り、義和団戦争から30年後の1930年頃と判断する。その上で、その時期の「政治的背景」としては、1920年代に進められた北伐に関する選択肢を選ぶ。

第4問

Aは綿花の貿易を、Bは北米に到達したヴァイキングを扱った問題。問1.会話文の「1850年と1880年とを比べると」という情報を基にグラフの数値を読み取りつつ、産業革命と第1次囲い込みの時期を考えて解答する必要がある。問4.会話文の「家畜を飼っていた形跡がない」という情報を読み落とすと正解を絞れない問題であった。問5.コロンブスのサンサルバドル島への到達が15世紀末、ポルトガルのアフリカ西岸への進出が15世紀、スペインのアカプルコ貿易が16世紀後半であると判断する必要がある。ただし、ポルトガルによるアフリカ西岸への進出は、ヨーロッパ人によるアジアへの新航路開拓の一環であり、新航路開拓はポルトガルが始めたこと、これに対抗するスペインがコロンブスの航海を支援したこと、コロンブスがアメリカ大陸に到達しないとアメリカ大陸の銀を利用したアカプルコ貿易が始まらないことを考えると、時期が分からなくても解ける問題である。

第5問

試作問題の第5問同様、生徒が特定の主題について学習している設定で、小問の最後(問5)にその主題を答える形式。問1〜問4はいずれも生徒が提示した資料から読み取れる内容と世界史の知識を組み合わせて各選択肢の正誤を判定する。問1は解説シートの地図が7世紀前半の状況を示していることから、まだ新羅が朝鮮半島を統一しておらず、地図中の扶余が百済の版図であると判断する。問1は百済の穀物貸付制度、問2はイングランド王国における肉食禁止の布告、問3はアメリカ合衆国の西漸運動にともなう先住民への食料支援政策、問4は第一次世界大戦中のドイツにおける配給制を扱っていることから、問5で問われている特定の主題αは「政治権力が食料事情や食生活に与えた影響」が適当であると考える。